雇われ嫁の備忘録

42歳主婦が人生を変えようと奮闘する話

第12話 悩んだあの頃

私には3人の子供がいます。

ちょうど16年前第一子となる長女が産まれました。

それと同時に私は会社から2つの選択を提示されました。

 

1つ目は、子供を保育園に預けてこのまま自営業の手伝いという仕事を続けるか。

2つ目は、会社を一旦辞めて子育てに専念するか。

 

初めての育児。

それだけでとてつもないプレッシャーに支配されていた私は、迷うことなく専業主婦になって育児をすることを選びました。

 

新生児との毎日はそれはそれは想像を絶する日々でした。

子育てをした経験のある方ならその大変さはお分かりになると思いますが。

 

加えて私は、嫁いだばかりで配属となった職場での人間関係に疲れもいましたし、つわりや大きなお腹を抱えてなんとか仕事を乗り切ったことで、心にも休息を欲しておりました。

 

そんな理由もあってから、どちらかというと

「もう、働きたくない」

という思いがかなり強く出ていました。

嫁ぎ先の仕事、ましてや将来は上司のあとを継ぐ宿命が未来には待っているという現実は変えられない

 

そこから少しでも逃げたい

 

逃げるいい理由として「子育てに専念したい」と言ったのです。

自分の都合で、自分のその時の感情で。

このときの私には、未来を見据えるなんて知識は全くありませんでした。

働かなければお金が入らない、という常識も頭から抜けていました。

とにかく嫁ぎ先の職場の仕事内容は過酷でした。

今まで経験してきたどんな職場より肉体的にも精神的にもキツかったです。

 

「逃げたい、逃げられる、とりあえず今楽になりたい」

 

この頃はまだ、今のようにYouTubeSNSで情報を仕入れることなど普及していなかった時代。

何が得で何が損なのか

20そこそこの新米ママはそんなことを知る余地もないまま

孤独に、がむしゃらに、自分のことなんか後回しで、目の前の毎日に向き合って過ごし続けていったのです。

約10年間で3人の子宝に恵まれ、子供の成長を第一に考えて過ごしてきました。

そして3人目の長男が一歳になるのを機に、また職場復活したのです。

 

今度は兼業主婦です。

子どもの事も気に掛けつつ、仕事も家事もこなさなくてはなりません。

保育園や小学校で子供の面倒は見てもらえますが、まだまだ幼い子どもたち。

家に帰れば目が離せないし、身の回りの世話も手を掛けなければいけません。

 

会社では、また向き合わなくてはならない人間関係。

一緒に働く夫の両親への過度の気遣い。

加えて、専業ではなくなったんだからという理由で加えられた早朝の仕事。

 

それでも私は自分に鞭打って頑張ってきたつもりです。

もう駄目だなあと思ったときに助けてもらったのが、当時放送されていた戦隊モノや、漫画、アニメ。

これらに勇気をたくさん貰いながら、1年、2年と乗り切っていきました。

 

人間関係で挫けそうなときは、頭の中に、当時大ファンだった戦隊モノのブルーを思い出してはニヤニヤしたり、漫画のストーリーを思い描いて自分を奮い立たせたりして

 

そうこうしていくうちに、子供はどんどん成長していって手がかからなくなってきました。

休みの日で、3人きょうだいそろってテレビを見ながら、工場の隣りにある自宅で留守番も出来るようになりました。

そこでまた、私には休みの日の仕事も追加されていきました。

 

 

 

いやぁ……ちょっと休憩(笑)

 

今こうしてみるとやべえですな

段々とするべきことが増えてきている

でもそれに違和感を感じていない。

水につかっているカエルがいつの間にか熱湯になっていることに気付かず結果死んでしまう例えみたいな。

 

いやまあ違和感を感じていないというか、

自営業は大変だっていうし、これくらいの仕事量するのが自営業だし、いずれ全部引き継がなきゃならないんだし、当たり前だよねこれくらい、義理の両親にも段々と楽させて上げるにはこれくらい頑張らなくっちゃ!

みたいなある意味洗脳(笑)

自分の状況を異常なものとして認めたくなくて、正しいことなんだと一生懸命自分で自分に言い聞かせていたんです。

 

このまま行ったら過労死待ったなしだよな……怖い……

でももうしばらく私のこの洗脳は抜けず、更に休息時間は減っていき、やるべきことは増えていきます。

 

会社のみんなに認めてもらうには、弱音を吐いちゃだめだ。

ひたすら頑張るんだ。上司の仕事を覚えなければいけないんだ。

 

頑張った結果、一応私は会社のみんなから役員としては認めてもらえるようになったと自分では思っています。

大体の流れは身についたし、上司から指示されたことは理解できる。

やることをきちんとやって来たことによって信用度も上がっていると思う。

 

あとは

上司から

仕事を任されるようになればいいだけ。

 

なんだけどなあ(笑)

 

 

次回、待てど暮らせどその時はやって来ません。

 

第11話 一番怖いもの

ちょうど今から24年前。

 

高校卒業してすぐに就職することを選んだ私は、大手航空会社の機内食を作る所へ就職しました。

今思えば、あそこほど恵まれた職場環境はないと思えますが、そこはまだハタチにも満たない子供です。

始めて直面する多種多様な年齢と人間関係に、一年半でノックアウト。

辞めることになったのです。

今では考えられない高給に、入ったばかりで貰えてしまうボーナス3ヶ月分!

 

それを……易易と

あーーーあ……勿体無い……(笑)

 

ともあれ、合わない職場から自力で退職するというスキルを初めて身につけた私は、その後数々のアルバイトに明け暮れることになります。

 

コンビニ店員、漫画喫茶店員、パン屋店員、また別のコンビニ店員、お茶販売員。

 

転職するたびに、接客業の楽しさに目覚めていき

そして同時に

 

「合わなかったらどんどん辞めて次の職場を探せばいい」

 

という若さ全開の自己肯定感溢れまくりのマインドで、働くことの楽しさを目一杯味わっておりました。

掛け持ちしながら、朝の5時から夜の8時までするときもありました。

若さってすごい。

とにかく楽しかったですね、あの時期は。

 

しかし、その時期の中でとある事件がおきました。

 

職場が倒産する

 

という出来事でした。

 

ある日突然、それまで現場を取り仕切っていた店長が辞めて、代わりに社長がやってきて取り仕切ることになりました。

 

でも今までほぼ全く店になど来たことがなかった社長が製造リーダーとしてやっていけるわけがありません。

 

社長が作る商品は失敗作続き、なのにその失敗作を店頭に並べる始末。

今の状況についての説明は少なくともアルバイトたちにはほぼ伝えられず、不信感が広まっているにも関わらず、社長はやたらと明るく元気に私達とコミュニケーションを取ろうとしてくるのです。

 

そのうち何週間かで社長すら来なくなり、私達は残された人たちで製造販売をしなければいけなくなりました。

給料も遅れるようになり、ますます職場に不穏な空気が立ち込めるようになりました。

 

パートのおばちゃんたちは、

「給料はもう貰えないよ。滞納分も。倒産するんじゃないかって噂だよ。無いところから貰えるはずないよ」

と、もうハナから諦めモード。

温厚な副店長も、鼻息荒く怒っているのが目に見えて感じ取れました。

 

私ともうひとりの若いアルバイトは

「でもそんなこと許されるはずない!だって仮に100万円の給料の人がいたらそんな理由で諦めるわけない!何か給料を取り返す方法があるはずだよ!!」

と燃えていました。

 

世の中の仕組みなど全く勉強してこなかった20歳そこそこのアルバイトが、当時普及し始めていたインターネットを使って、給料を取り戻そうと調べ始めます。

そこで初めて目にした

 

労働基準監督署……」

 

アルバイト二人は、なんの準備もなしに隣町にある労働基準監督署へ足を踏み入れたのでした。

 

ここまで来ると若い二人にとっては、もうある意味一種のアトラクションというかイベントをしてるような感覚でした。

 

一つの倒産しそうな会社から自分たちの大事な給料を取り戻すという未知の体験。

私達は勇者なんだ。

正義の味方なんだ。

お店のみんなのために必ず給料を持って帰ってやる!!!

 

そんな気持ちで労働基準監督署の担当者さんに、若さを盾にとりとめなく訴えまくったのでした。

 

この会社は悪。

なんにも言ってくれなかった会社が悪者。

その気になればこうやって動くこともできる。

従業員を甘く見るなよ。

泣き寝入りなんかしないんだからな。

 

私達が労働基準監督署に訴えた結果、

給料は全額ではありませんでしたが何割か返ってきました。

労働基準監督署が立て替えるという形でした。

従業員全員分の給料は高額でしたが、それを社長は負債として抱えるというふうに書類に書いてありました。

 

後日、友達と興味本位で本社を見に行ってみたのですが、差し押さえの紙のようなものがガラスの窓に貼られていました。

それまで給料をいくらかでも取り戻せたという高揚感にあふれていた私達でしたが、実際の会社の様子を見て

 

ああ……本当に倒産したんだ……社長…どうやって負債返すんだろう…

と、若いながらに少し思ったのを覚えています。

 

 

時は流れて

 

いま自分は

 

一歩道を踏み間違えれば

 

従業員に訴えられる側にいます。

 

夫の父である在りし日の会長の言葉。

 

「どんな仕事でも真面目に、真摯に、正直に、いいものを作って頑張っていれば、お客さんは必ずついてくる。わかってくれる人には伝わるんだ」

 

お客さんももちろんだけど、私はこの相手を従業員さんに置き換えていつも考えています。

会社での事はどんなことでも話す。

なんでも要望を聞く。

提案を喜んで受け入れ、実現させるよう努力する。

 

会社のために毎日頑張ってくれている従業員さんたち

 

私はみんなだいすきです。

 

 

でも

 

一番怖いのも

 

従業員さんたちだっていうことを

 

自分が一番良く知っている。

 

そのことを忘れずに、今日も一日頑張ろう!

と思うgomaでした。

 

思い出話回になってしまいましたね。次回はまた現在に戻ります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第10話 願いを叶えるぞう

気がつくと話し始めてから30分以上も経ってしまっていた。

外はすっかり薄暗くなっていた。

「どうも遅くまで時間取らせてしまって申し訳なかったね。どうもありがとう。」

予定していた時間を大幅に過ぎてしまったにもかかわらず、若手従業員さんはニコニコしながら事務所を後にした

 

味方になってもらおうという私の目論みは手応えのないものに終わった。

「私、全然見えてなかったんだなあ……」

自分の不甲斐なさばかりが心に残る初めての会談が終了した。

 

一年後には代替わりをしようと思っていること

それには上司に頼らず自分たちで自主的に仕事を進めること

それにはまずこちらの部署から変えていきたいと思っていること

 

そんなことを私は伝えた

 

「うーん……それは無理なんじゃないですかねぇ〜……」

 

彼女から出た言葉は予想とは真逆だった。

彼女が言うには

 

私達は勝手に色々変えたりすることは出来ない

もうずっとこのやり方で定着してしまっているから変えられないと思う

上司にはとてもじゃないが意見など言えない

 

というものだった。

 

「意見が言えない」

 

悔しいがこれには私も納得せざるを得なかった。

そうなんだよ。

ここでは自分の意見はまず通らないんだ。

上司である夫の母のやり方ですべて回っているこの作業場。

上司の頭の中で組み立てられている、その日に決まるその日の絶妙な一日の計画。

一つでも順序を間違えたらバランスが崩れてしまう。

危うい計画。

でも

そうやって回すしかないんだ。

30年以上そういうふうにやってきたし

何より

他にできる人がいない。

上司しかこの現場を取り仕切る人がいないんだ。

そんな中で意見など通るはずがない

ガラガラと崩れてしまうから。

 

みんながそれを怖がるあまり、

意見が言えない職場になってしまっているのです。

 

ここまでは私も一応予想していました。

普段から勤務時間内での上司と従業員さんたちのやり取りを見ていたからです。

多分、不満要素として上がってくるだろうと思っていました。

 

でも次の提案をしたときに帰ってきた答えに私は面食らいました。

 

「あのぉ……私達、それ自分達でで買ってきて作業で使ってます………」

 

私がした提案というのが、本当に自分でも恥ずかしいんですけど

「作業効率を上げるために、使いづらい道具は使いやすいものに変えて作業したらどうだろう?」

というものでした。

それに対して従業員さんは言いづらそうに答えました。

「はい……やっぱり使いづらいんで……結構買ってきてるんですよ……でも買ってほしいとか言えなくて……そんなに高いものじゃないし……わざわざ会社に買ってもらうほどの物でもないし……いえ、大丈夫ですよ(笑)」

 

 

……………ッッッごめんなぁぁぁ……!!!(泣)

 

意見が言えないにも程がある。

彼女らは、自腹を切って手袋やらブラシやらを買ってきて使っていたというのです。

 

使いづらいのでこういうブラシを買ってもらえないでしょうか?

 

という意見さえも言えない雰囲気なのか!!!

うちの会社は!!!

 

私は恥ずかしいやら悔しいやらで大量の汗が吹き出してきました。

本当に申し訳ない

社長に言ってかかった分払うから!!!

と、私は必死に取り繕いました。

 

 

従業員さんたちが日々どんな行動をしているか

どんな悩みに直面しているか

 

今まで私は自分のことしか考えずに仕事をしていました。

 

どうしたら上司から仕事を教えてもらえるだろう

どうしたらみんなより完璧に早く仕事が出来るだろう

どうしたら欠点のない人間になれるだろう、と。

 

でもそう思っていたのと同時期に

 

従業員さんたちは

 

いくつもの作業上の困難にあたっても

進捗を止めてはならないと

自分たちだけで解決し

会社のために

会社に言わず

動いてくれていたのです。

 

意見が言えない

 

そのせいで会社が払うべき費用を出させてしまった

 

意見が言えていれば

 

「これからは何でも言ってね、何でも買うからね!!」

私は必死にこう言うしか出来ませんでした。

 

自分のビジョンを話してそれがいいと思ってくれたらきっと味方になってもらえる。

そう思い込んでいた自分はなんて浅はかだったんだろう

簡単なもんじゃない

人の気持ちを変えるってのは

 

まずは自分が変わらなきゃ

そして行動しなきゃ

 

私は決めました。

 

従業員さんの要望は必ず即日実行する

 

意見を言えない雰囲気を打開して

意見を言えば必ずすぐ意見に対して即アンサーしてくれる職場

出来るかできないかは置いといて

とにかく

 

私に言えばすべて実行します!!

すぐに!!

実行することだけは!!

してみせます!!

 

 

あの日会談を終えた直後は完全に打ちひしがれてましたが、

あの日から自分で決めた信念

従業員さんファーストの精神で

要望を最優先で通してきたつもりです。

 

その結果は

未来へと繋がって行くはずです。

少なくとも今現在

過去に撒いた種は目を出してきている

そう私は感じています。

 

 

次回、さらに願いを叶えるぞう!?

 

 

 

 

 

 

 

第9話 聞き取り調査

上司である夫の母は、それはそれは働き者だ。

もう70も目前だというのに朝は早くから夕方まで働き通し

お昼ごはんもままならず、時には夜にも溜まった仕事をこなし、果ては夜中にも工場へ赴いて製品の管理をしている

 

ここへ嫁いでくる前に、義理の父から言われた言葉。

「ここは休みは無いよ。それでも大丈夫かい?」と。

確かにそう言われて私は大丈夫ですと答えた。

愛する夫と一緒ならどんな事だって乗り越えられると信じて疑わず、もともと働くことが好きだった性格もありきっとできると自信満々に受け入れた

自己肯定感にあふれていたあの頃の私。

 

休みがない

 

とは聞いていたけれども!!

夜中や早朝まで出なければいけないとは聞いてないぜ夫さん!!

いずれ夫の母のように私もしなくてはならないのかと軽くめまいに襲われたが

大丈夫。きっと自分ならできる。

だって愛する夫と一緒に働けるんだから!

 

今までずっと遠距離恋愛で数ヶ月に一度しか会えなかった。

デートだって数えるほどしかしていない。

いつだって一緒にいたくて結婚を決めたんだ。

これからはずっと一緒にいられるんだからなんだって平気

一緒に頑張って苦しいことも乗り越えて、会社をやっていくんだ

 

そう思っていました

 

アハハハハハ

大爆笑

草生える

大草原

 

今となっては過去の自分に

よーーーく考えよーー

人生は大事だよーーーー

とでも歌ってあげたい。

 

ともあれこの会社は、未だ社長とは名ばかりの夫とその嫁が

会社でのすべての権限を握る夫の母のもとで

司令に忠実に従って労働をするという構図の

なんともフレッシュさにかけた

昭和臭がプンプン香る

小さな町のちいさな食品工場なのでありました。

 

 

前話の新入社員さんに言われたことで、会社を変えていきたいと思うようになった私は思いました。

 

「まずは味方を作らなければならない」

 

私には味方と言えるような関係の人がいませんでした

愛する夫はどうしたの?と思われるかもしれませんが、ここがこの会社の闇のひとつなのです。

察しの良い方はお気づきかもしれませんが

そうです

夫は重度のマザ○ンなのです!!!

お母さん大好きって言う面もあるかもしれませんが、それより恐ろしいのが

母の言うことに絶対に逆らえない………

何ということでしょう

 

ということは、私がああしたい!こうしたい!といっても

夫の母がNO!!!といえば、それは却下となる運命なのです。

 

怖いですね……

未来ある若者の意見を通してくれない数年で引退が決まっている年配者……

怖すぎます……

この先5年10年を見据えることなくその日その日単位でしか進んでいかない会社

お先真っ暗とはまさにこのことです。

 

普段従業員の方たちは、すべて夫の母の指示で会社での仕事を進めていっています。

それが効率が悪かろうが、二度手間になろうが、疑問を投げ掛けたくなるようなことであろうが

逆らわず ハイと答えて こなすだけ

みんな自主的に考えて作業したほうが効率的だと思っていても、それをぐっと堪え、言われたことだけをやる。

やっては聞く。一つ終わっては聞きに行く。何回も何回も上司の元へ出向いて聞きに行く。

こんな非効率な作業形態に従業員の方たちの不満もよく耳に入ってきてはいたのです。

 

恐らくみんな変えたいと思っている

この会社に変化を求めている

でもハナから諦めてる

わかるよ…だってそのほうが楽だもん……

私と従業員さんたちの考えは近いんじゃないかなあと感じていたのです。

 

変えたい

 

だったら

 

みんなの中で

 

唯一権限を持っている私が

 

やってやろうじゃん!!!!!

 

 

思い立ったその日の就業間近

私は2つある製造部門のうちの、どちらかというと上司の目が届かない方の部署の従業員さんの一人に声をかけました。

「ちょっとお話をしたいと思っています。就業後、10分位で終わるので事務所に来ていただけないでしょうか」

その方は思っていたより淡々と

「ハイわかりました」

と言ってくれました。

 

意外……急なお誘いだったからもっとびっくりさせてしまうかと思った……でも特になんの用事かも聞いてこないし……私と違って落ち着いてるなあ……

 

さてと

10分か…

雑談じゃない

未来へ繋げるための第一歩だ

話す目的はもう決まっている

私の狙い、それは

 

味方になってもらう

 

こうして私主催の初めての会談が開かれることになったのです

 

次回、従業員さんから出た意外な発言……!

 

第8話 逸材

10年も同じ会社にいると色々な人に出会います

いろんな人が去っていき、いろんな人が面接にやってくる

現在、従業員の多くは私の後に入社して来た方ばかり。

そして年上の方がほとんどです。

 

これまで出会ってきた従業員さんたちは

ごくごく一般的な就業形式で働いておりました

上司に言われた仕事を黙々とこなし

ミスが無いように注意しながら製品を製造していく

 

暇があれば世間話も交えながら

忙しい中にも楽しさを見つけて毎日頑張ってくれておりました。

この中には私も含まれています。

 

会社の内部事情など気に留めることもありません

決算がいつなのかもわかりません

従業員さんたちがいくらのお給料で働いてくれているのかも知りません

赤字なのか黒字なのか

儲かってるのかそうでないのか

そんなことは私には一切わかりません

 

ただ

他の従業員さんたちと一緒に

時間から時間まで言われた通りの仕事をこなし

家に帰れば育児と家事

休日も決まりきった会社の仕事をこなす。

その繰り返しの毎日でした

 

ここに嫁ぐということは

いずれは上司である夫の母の仕事を受け継ぐということ

その事は10年以上前からずっと決まっていました

受け継いだら夫の母と同じように

同じ仕事をする

そういうものなんだと信じて疑いませんでした

 

目の前に置かれた仕事をやるだけの毎日

そのことが

間違っていようが合っていようが

非効率的だろうが無駄な動作だろうが

そんなことまで私は理解する必要は無いのです。

こうしたら素早く出来るんじゃないかと思って作業内容をを変えてみたりしても

こうやったらどうだろうとかアイデアを思いついても

意見が反映されることはない

 

時が進むに連れて

段々とそうやって考えることすらしなくなり

早く会社終わらないかなあと時計ばかり気にする様になりました

会社はちっとも楽しい場所じゃない

むしろ苦痛。

いっそのこと潰れてしまえばいい、なんて考えたこともありました。

 

自分の希望なんて通ることはない

変えることなんてできるわけが無い

もう進むべきレールは決まっていて、それを自分で変えることはできない

いつ上司の後を継ぐ日が来るのかも解らぬまま

言われた通りの事だけを、上司の顔色を伺いながら、負の感情を抱きながら

やり続けるしかなかったのです。

 

 

 

 

緊急事態宣言が出て半月ほど経ったある日

その新入社員さんはやってきました。

コロナ禍になってから初めての社員さんです。

このご時世ですから、もちろんマスクで顔は覆われていてどんな素顔なのか伺うことは出来ません

担当は製品の配達。

スーパーや小売店に朝早くからトラックを走らせます。

午後に配達がない時は、工場に入って製品の検品作業や梱包作業をこなします。

ミスや慌てることもなく、確実に仕事をこなしていく社員さん

 

ある日、彼はこんな事を言いました

「ここの会社って変わってるね」

突然の話題に思わず作業の手が止まります

「変えていこうとかは思わないの?」

私は面食らいました。

少し引きつりながら、けれども平静を保ちつつ

「変えられるわけないじゃないですか……私はただの労働者でしかないんですよ……」

と返答しました。

するとこう言いました

 

「俺だったら、うちらがやるからどっかいけって言うけどね」

 

その場は笑って終わりましたが、その言葉が凄く心に引っかかりました。

丁寧な言い方をすれば、

「私と夫で会社を運営していくからもう引退してはいかがでしょうか?」

ということになります。

うん、常識的に何もおかしいところは無いな

上司である夫の母ももう60代後半になるし、引退を考えてもらうのが自然なのかもしれない

 

今まで私は上司が

「もう引退するからあとは任せます」

と言ってくれるのを、いつだろういつだろうとただ待つだけだった。

でも自分たちで期日を決めて、この日からは交代する!と決めて、準備していく事は出来るんじゃないか?

いや、むしろそれが出来ない経営者なんてあり得ないんじゃないか?

 

これまでもたまにパートさん達から会社運営の仕方についての意見や苦情はありました。

私も一応経営者の嫁という立場ですから、そういう意見は無視できず聞き役になっていました。

でもあくまで聞くだけです。

だって私には意見を言ったり上司のやり方を変えたりなんていうことはできるはずない事だったから。

 

私は

年上の人達に混じってずっと働いてきて

年上の意見が正しい、年上の決めたことは絶対

年上の人達の言う事を黙って聞いてれば間違うことないんだ

年上の人達が守ってくれるんだ、と。

結局の所、40にもなってずっと気持ちは子供のまんまだったのかも知れません

 

 

 

「変えていけますかねえ………」

 

いま自分が何をすべきか

そして

変えていく事が何も珍しいことでも不可能な事でもないと気付かされた今

持ち前の行動力がむくむくと湧き上がり

変えられるかどうか試してみたい、という好奇心に変わっていったのです。

 

 

次回、従業員さん達と喋る!

 

 

 

 

 

第7話 乗り越える

子供の頃から争い事を避けて来ました。

友達と本気の喧嘩なんてした事はありませんでした。

いつもニコニコ決して怒らない

それが昔からの私を知る人達の私のイメージ

 

 

笑っていれば平和にいく

怒らなければ誰とも気まずくならない

 

頼まれたことを嫌とは言えず何でも引き受けました

クラス委員にもいつも選ばれていたし、先生の似顔絵を描いてと頼まれれば寝る間も惜しんで完成させました

 

自分が我慢すれば丸く収まるんだから

いい人を演じていれば虐められることもないから

笑顔でいれば何でも上手くいくから。

 

そう思って20数年生きてきました。

 

この刷り込みは本当に根深かったし、信じて疑わなかった。

だってそれが当たり前で、現に幸せな人生を歩んできたから。

 

私の笑顔は無敵なの!すべてが丸く収まるこの笑顔を持ってすれば、

どんな困難でもへっちゃらよ!

結婚直前まで働いていた職場の上司がこう言ってくれました。

 

gomaさんなら、どこに行ったってやっていけるわ」

 

この言葉を鵜呑みにして、自分は出来のいい人間なんだ

みんなを幸せに出来る才能を持ってる私って凄い

私を嫌う人なんているわけない。私はみんなに愛されることができる人間なの!

 

そう思って疑いませんでした。これが結婚前までの私。

自己肯定感が極めて高かった理由はこれです。

 

でも今思えば、私が凄かった訳では無かったんですよね

今まで出会ってきた友達、上司、親戚、兄弟、親……

この方達が凄かったんです。

 

私が凄かったわけじゃなく、ただ単に自分の周りの人に恵まれていただけだった

自分はみんなに支えられて初めて自分という存在を確立出来ていたんです

その事に気付かず、自分はどこへ行っても大丈夫と軽々とすべてを捨てて来たのです

 

どんなにニコニコしていても

どんなに気を使って奉仕しても

休みなく働いても

言われたとおりに仕事をこなしても

ここでは通用しませんでした

 

こんなに我慢してるのに

こんなにニコニコして明るく振る舞っているのに

プレゼントもあげているのに

楽しそうにしてるのに

 

どうして私はいつも一人ぼっちで孤独感が付きまとうんだろう

こんなに頑張っているのに、なんで?

 

 

日に日に春の足音が聞こえてきたかなと感じた、晴れたある日。

コロナがとうとうこの町にもやってきた

都道府県の中では割と最後の方まで感染者が出ず、楽観的に過ごしていた。

しかしいきなり自分の町から感染者が出たので不意を突かれたというか

 

その日私は初めて自分の死というものを身近に感じました

ニュースで、コロナが原因で亡くなっている人がいるという現状を見聞きしていましたし。

コロナにかかって死んでしまうかもしれない

自分が死んだらどうなるかなんて人間誰しも考えたことはあると思いますが、この時は本当に恐怖を感じて、自分が死ぬことがありえない事ではないと強く強く心にのしかかって来たのです。

 

私の人生、ここで終わってしまうかもしれない

これでいいのか?

宙ぶらりんな存在のまま、いたのかいないのかわからない人として消えてなくなってしまうのかもしれない

それでいいのか?

 

私に関わっている人たちに遠慮して、本当の自分を隠して、取り繕って誤魔化して

その場その場を、自分の気持ちに嘘ついて、かわし続けて、良い人を下手な芝居で演じ続けて死んでいく人生にもしなってしまったら

それで後悔しないのか?

 

そして

次の日の仕事中でした。

 

私は嫁いできて初めて上司という名の夫の母に

 

キレました

 

内容は特にここでは触れませんが、いつも温厚で真面目でおとなしい言うことを素直に聞いているだけの

ただ会社に雇われているだけも同然の意見も言えない嫁が、自分の意見を爆発させました

 

嫌われたっていい

出て行けと言われたっていい

 

死んじゃうよりマシ

 

恥ずかしいし怖かった

でも心がすうーーっとした

初めて他人に自分の感情をぶつけた日。

 

時は流れて

 

今日も元気に上司(笑)と意見交換が出来ています。

こう思っているのは私だけかもしれませんが、

会社の一員になれた

本当の家族になれた

そう感じれるようになれたということは良かったのかなと

 

人間本気でぶつかり合う事の真髄を、この歳になってようやく理解出来ました。

かなり図太く立派に成長しました(笑)

 

 

でもまだこの頃の私は可愛いもんですから

これからもっともっと色々なことが起きていきます。

 

次回、凄い従業員さんが新しく入社してきます………!!

 

第6話 筋肉は

コロナで日本中が暗いムードに包み込まれていました。

なるべく人との接触を避けてうちに籠もるのが吉。

外にでも出ようものなら、またたく間に感染してしまう

そんな錯覚にさえ陥るくらい、このウイルスに対する人々の恐怖は計り知れない時期でした。

まだ東北には来ていない。

頑張れ東北!と、テレビのニュースの度に何故か応援していたあの頃。

学校も臨時休校となったが、子供達は思いがけない長期休みにまだ無邪気に喜んでいました。

 

私はというと、

極寒の地で、ようやく見つけた南国のパラダイスに片足だけ突っ込んだだけで強制的にもとの場所に帰国させられてしまった。

そんな気持ちでしばらくは虚しい日々を過ごしていた

SNSで歌手さんの今後のスケジュール情報を調べるが、どれもこれも絶望的だった。

 

今、自分にできることはなんだろう。

 

そうだ、筋トレして見よう。

コロナ禍で運動不足解消が推奨されている今なら、家族に不審がられることもなく自然に始められるんじゃないか?

 

とてもじゃないが子供や夫に、歌手さんのコンサートに行くときにおしゃれな洋服を着こなしていきたいからなんて絶対に言えない(笑)

 

そう思い立った私は、おもむろに腹筋をし始めた。

 

お、なんとか10回出来た。

でもやっぱり疲れるな。

 

次の日も

そのまた次の日も

歌手さんのコンサートに行ける日が来ることを原動力にして

私はその日に出来るところまで、という縛りで毎日腹筋をしていった。

 

10回程で限界だった腹筋が一週間たつ頃には連続で30回出来るようになっていた。

 

その頃、私はSNSで歌手さんにコメントを送る事を生き甲斐としていた。

おはようとツイートされれば、おはようございますとコメントし、

おやすみとツイートされれば、おやすみなさいといいねマークとリツイート

 

腹筋を継続できていることに自信がついた私はこんな事を思いついた。

 

歌手さんのツイートのいいねマークの数だけ腹筋をしよう!

 

完全なる自己満足でしかないこの思いつき。

なんだか歌手さんへのリスペクトが変な方向へねじ曲がって働いちゃってますが、これが筋トレの魔力なのか

成果が表れると、自分を厳しい方厳しい方へと追い込んで行っています。

でも私がどんなに腹筋を鍛えたって歌手さんにはなんの利益も生まれ無いんですよね…

なのにこれで歌手さんを応援しているつもりなんです…

 

 

ともあれ始めた自己満ルール

当たり前ですがいいねの数はその時々で変わってきます

普段は100行くか行かないくらいですが、たまに300とかなったりして

それでもこの勘違いファンは苦しむどころか逆に燃えてくるんですね

いいねが多いことは私も嬉しい!だから腹筋でお祝いだ!!

もう意味がわかりません。

 

でも目的は毎日続ける事。

そのための燃料は何でもいいんです。

私は歌手さんにまた会える日を信じて続けました。

そして、コロナが収束するまでという目標を決めました。

 

 

そんなこんなで一ヶ月ほど過ぎたある日。

ふと自分の腹筋が驚くべき変化をしていることに気付きます。

何気なく自分のお腹に触れたその時

 

……硬い………!!!!!

 

お腹が硬いッッッ!!!!

 

こんなに硬いお腹をさわるのは生まれて始めての体験でした。

腹筋ってこんなに硬くなるもんなの?

人間の体ってこんなに変わるんだ。

 

 

気がつけば私は腹筋を連続50回続けられるほどになっていました。

いいねが200の時は50回を4セットやりました。

歌手さんに会えない悔しさを、自分自身に苦しさを与えることで発散させていました

 

体重も2キロほど減ってウエストが締まってきたように思えました。

お風呂では努めて見ないようにしていた全身を臆することなく見れるようになりました

仕事も、体力がついたおかげで夕方まで動き回れるようになりました。

早朝に仕事場に行くのも苦痛ではなくなりました。

筋トレを持続しているという事実が自信となり、心に余裕が生まれました。

 

筋トレを毎日続ける

そう自分で決めた事を実行し続けていたら結果がついてきた。

即効性があるものではないけれど間違いなく必ず報われる。

 

ちょっぴり不純な想いから始めた筋トレ。

でも、この事は私の人生において間違いなく運命を違うレールに導いた。

今となってはそう思えるのです

 

もし歌手さんを知らずにいたら

もしコロナがなかったら

私はどんな日々を過ごしていたのでしょう。

 

今日も私は筋トレを続ける。

コロナが収束するまで続ける。

そしておしゃれな格好でコンサートに行くんだ!!

 

実際に口に出して言う日が来るとは思わなかった

「筋肉は裏切らない」

そして

「腹筋を割ってみたい」

 

自分で決めてそれを続ければ必ず結果は出る

自分で決めたことは絶対に続けられる

 

これが一人の主婦が40年余りの人生で初めて自分で導き出した自分のための答えでした

 

 

次回、とうとうコロナが町に……!